君が代のがのうつくしい鼻濁音    小奈生

そう言えば出しそびれた宿題があった。朝日カルチャーの川柳講座の「代」である。眼科で緑内障の検査予約が入っていたので、あらかじめ欠席の連絡をしておいたのだが、「ひょっとしたら間に合うかも」ぐらいに思っていた。しかし瞳孔を開いて行う検査をなめちゃいけない。入ってくる光を絞れない真っ白なまぶしさを初体験した。きらきらと晴れていた日だったから一層だったかもしれないが、信号は判別できないし顔は上げられないしで驚いた。その日に出すはずだった宿題である。

2016年2月11日 18:20

一度だけ

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております   山崎方代
   (「15歳の短歌・俳句・川柳」①愛と恋より。)

私がこの短歌に初めて出会ったのは今から10年ちょっと前のことだ。「知っております」にどきっとした。知っているのが「南天の実」でなかったら、そうは感じなかっただろう。あの赤い実のもつ不思議な力である。わたしにとって、「南天の実」は動かないモノであった。幼い頃、悪い夢をみたときは南天をゆすっておくとよいと言ったのは母方の祖母だ。祖母の家の中庭には涸れた井戸と南天と葉蘭があって(もちろん他にも木は植えられていたはずだが覚えていない)、ちょっと怖くてちょっと心ひかれた。土間になった台所から中庭に抜ける通路の薄暗さと南天の実の赤が記憶に残る風景である。

2016年2月10日 17:30

寂しいと言い私を蔦にせよ    神野紗希

(「15歳の短歌・俳句・川柳」①愛と恋より)
『突然炎のごとく』の章に収められた俳句である。この迫力は川柳では出せないと一句の前に思わず立ち止まった。強い。なぜそうできるのだろう。裏返せば、川柳ではなぜそうならないのだろうということになる。

鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女

この俳句も同じ章の中に見つけた。同じく命令形である。そう言えば、というのはあまりにも迂闊だがこの有名な句も俳句だった。川柳とは明らかに違う俳句の世界だと思う。

2016年2月 9日 17:18

「転校生は蟻まみれ」 小池正博句集

白山へ行こう火をとりに行こう

「白山」という言葉に目が留まる。ついこの間、石川県白山市の方からお電話をいただいたばかりだったので。そのときに、「竹取物語」のかぐや姫の歌を思い出して、古今集のいくつかの歌のことを考えた。言葉との出会いには、こういう不思議な不可抗力のようなものが働いている気がする。そして、そのことも含めてわたしは言葉が好きである。白山は、もういつ噴火してもおかしくない火山リストに入っていたと思うので、「火をとりに」行くのだろうか。白山の火は、とても神聖で不思議な力を持っていそうだ。白山の火を手に入れたら何でもできるみたいな。小池さんが「とりに行こう」って言うんだから、それだけの価値があるものなんだよと思う。川柳のことをずっとまじめに考え続けている人の気持ちや意志や希望がいっぱいつまった句集である。

2016年2月 5日 17:35