ハナミズキ

一青窈さんの歌である。先日、NHKアーカイブスで徳永英明のライブをやっていて、たまたま「ハナミズキ」の曲のところに出くわした。ああ、やっぱり好きだなあと思って聞いていたら、歌詞が不思議だということに気づいた。

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと終わりますように

そんな歌詞だったのか。「僕の我慢」が実を結ぶんだ。意外な歌詞だった。「僕の我慢」は「きみ」の「果てない夢」がちゃんと終わることともつながっているんだろうな。とても意外!ぼんやりと歌詞のことを考えていたら、突然、名古屋出身のシンガーソングライター(この言葉も古い?)山名敏晴さんのことを思い出した。「五月の風」が聞きたくなった。たぶん、「ハナミズキ」の五月つながり。こういうのが、昭和式のリンクなのかなと思う。山名さんは、まだ歌っているのかなあ。CDを持っているわけじゃないし、「五月の風」をもう一度聞くことはできるんだろうかと考えたところで、平成の簡単な解決法に思い当たる。ググればいいんだ。山名さんの情報も手に入るだろうし、うまくいけば「五月の風」も聞けてしまうんだろう。なんとなくつまらなくなった。

2014年9月25日 16:38

幾何学の都市に破調を連れまわす    きゅういち

(「ほぼむほん」より。)
おや?と思う素敵な表紙の本が届いた。「ほぼむほん」え?なんだかかわいい響きである。「ほぼ謀反」に変換するまでの一瞬が楽しい。何に対する謀反なのだろう。社会?時代?運命?もちろんそういう要素がないわけではないと思うが、それら全部をひっくるめた自分の存在そのものに対する「ほぼむほん」のような気がしてならない。だから謀反は永遠に続く。ずうっと。きゅういちさんは、謀反的な行為として書き続けていくということなのじゃないかなあと思った。掲出句も存在に対する自意識をうかがわせる。ビルが林立する街中に立つと、まっすぐで平行な線が空間に並び立っている。たとえば、交差点で信号待ちをしている人の存在は、ちいさな破調だろう。無機質の中の有機質。圧倒的なものとあやういもの。完全と不完全。その「破調」を「連れまわす」自覚が、さわやかでたくましく感じられた。
この「きゅういち句集」は、〈川柳カード叢書①〉となっている。「川柳カード」が、また新しいアクションを起こしたということなのだろうか。おもしろそう!

2014年9月22日 12:55

弓なりになるまで鳴り響くピアノ    樹萄らき

(「旬」No.195より。)
弓なりになってピアノを演奏しているのは人である。弓なりの姿勢をとるぐらいだから、演奏も佳境に入りピアニストは音の中に没入しているのだろうか。そこにあるのは音。音を出す楽器はピアノであり、楽器から音を引き出すのは人だが、そのモノもヒトもなく音だけが支配する時間を感じた。だから、弓なりになるのはピアノであっても人であっても大差はない。いや、むしろピアノでなければならない。ピアノ、演奏者、聴衆、そして音、あらゆる要素の境界が極度に薄くなった時間である。

2014年9月20日 13:19

リラックマは言う熊って意味不明    小奈生

今度の日曜日はねじまき句会。今月の題詠は「熊」。一言で言えば難題。みんな苦労したにちがいない。(もちろん、わたしも。この句とは関係なく、とりあえず投句だけはすませた。)熊のことをあれこれ考えていて気づいた。キャラクター化したクマ、リラックマやくまもんやプーさんと、現実のリアルなクマとの隔たりはすごい。似ても似つかない。そういう動物も少ないんじゃないかと思った。熊胆もググってしまったのだけれど、中国や韓国では胆汁を絞るためにクマに拷問を加えるとか。いや、そんな。確かに韓国歴史ドラマでは拷問は定番だけど。それにしてもクマに!相当に驚く。クマにとっても大変な国なのだなあ。句会での熊句論議が今から楽しみだ。

2014年9月17日 18:32

会うときは蘭鋳になるエチケット    小池正博

(「MANO」第19号より。)
「蘭鋳になる」のがエチケットってなんだろう。和金ならきちんとしてそうだし、琉金なら優雅だ。蘭鋳ってそもそも見た目がすでにエチケット違反じゃないのかと思ってしまう。蘭鋳でどんなマナーを思い浮かべればいいんだろう。だいたい誰に会うから蘭鋳なんだ?エチケットだから特定の人じゃないはず・・・。とモヤモヤ考えて、結局わかったようなわからないような気分で我に返る。小池さん、助けてください。気になります。小池さんは、今回の「MANO」に「河野春三伝説」を書いていらっしゃる。「川柳時評」もそうだが、小池さんがこうしていろいろなことを書いて教えてくださることにとても感謝している。不勉強を全面公開しているようなものだが、小池さんが書いてくださらないと、川柳の歴史や過去の川柳作家の活動などを知るきっかけがなかなか持てないのだ。だから、とてもうれしい。ありがとうございます。

2014年9月15日 16:47

鉄棒に片足かけるとき無敵    なかはられいこ

だいたいそういうものだが、いろいろと重なってちょっと疲れ気味。そんなときに、ぽろっと句がこぼれ出す。いつも決まった句ではなくて、なんとなくどれかが現れる。本当に元気になれるわけではないけれど、ちょっと力がもらえる。暑かった一日の夕暮れにさっと通り過ぎた風みたいに。「無敵」だからね。右足を鉄棒にかけて、ひざの裏に鉄の棒の感触を確かるときの気分。ぐわんぐわんと空を回すことだってできる。世界はもう手にしたも同然。次の一瞬、回りきれなくて哀しく鉄棒に垂れ下がっているのかもしれないけれど、少なくとも足をかけている今は無敵なのだ。よし、無敵!と思う。にんまりと笑う。大切な呪文のひとつである。数年前、たまたま見ていたNHKの「俳句王国」(だったかな?)で、「ぶらんこ」が題の時があった。ゲスト出演していた川柳作家だという人が、ぶらんこになにやらするとき無敵という句を出して称賛されていて驚いた。少なくともわたしの基準では類想句と言う次元を超えている。見ていて困ってしまった。知っていて使ったなら悪質だし、知らずに使ったなら不勉強である。そんな事態を生むほど、この句が素敵だという証明かもしれないけれど、わたしとしては大切な句にケチャップのシミをつけられたようで、いい気分ではなかった。元気になるはずが愚痴っぽくなるなんて、本格的お疲れモードだろうか。
えい!

2014年9月 8日 13:57

秋雨前線引けばこぼれる    小奈生

夏休みという季節が終わった。きょうは久しぶりの晴れ。お盆明けは、夏らしい日もなく風の匂いをかぐと明らかに秋である。ちっとも晴れてくれないので、毎日ぼやいていた気がする。これじゃあ梅雨でしょ、とかなんとか。それにしても9月は半端な月だ。なすすべもなく終わるのを待っているような変な感じ。うかうかと無駄にしないよう気をつけよう。

2014年9月 2日 16:04