蛇口です ときどき歌が漏れますが    なかはられいこ

(第108回ねじまき句会より。)
わ、なんて素直ななかはられいこ!などというと、もともと素直だよと叱られるかもしれない。それにしても近づきがたい屈託のなさである。この多面体的構造がおそろしく魅力的だ。日常生活の中にあるありふれたモノに対する共感が、「蛇口です」となりきった断言をさせる。さびしいときには、蛇口をひねりなさい。やたらセンチメンタルに聞こえそうだけれど、ひねって水の音を聞いたら、それだけでほっとしたりするのもまた本当のことなのである。ときどき素のままで体当たりしてくるなかはられいこさんは油断がならない。

2014年4月30日 16:43

ふりむいて水のにおいをこぼす人    小奈生

句の湿りぐあいはいつも気にかかる。手をつないだら'じとり'みたいなのは性に合わない。かといって、パサパサやカサカサはよろしくない。ぐずぐずいじくりまわして大失敗することがある。なかはられいこさんの声がよみがえる。「乾燥機に入れたらちぢんじゃってもう着られないみたいな」。そう、乾かし方に失敗するとそういうことになる。わたしが悩むポイントのひとつである。

2014年4月28日 16:42

それはまるで欅をぬけてきた光    小奈生

4月の「欅」2連発。きのうの「欅」は農薬も化学肥料も使ってしまったけれど、きょうの「欅」は全然知らないうちに、いつのまにか庭の隅に実をつけていたキュウリかなあ。ほんとうは無農薬有機栽培みたいな句にするべきなのかも。無農薬有機栽培は知恵と努力の結晶でしょう。食べる側には自然でおいしくて力強い。きのう、そんなキヌサヤをいただきました。確かな存在感のあるとてもおいしいキヌサヤでした。きょうの句で問題なのは「それはまるで」の6音ではないかと思っています。決して困ってつけたしたわけではなく、ありのままの6音なのですが、常套的な言い回しの感覚があり、句全体に既視感を付与する懼れがあるかと思います。ひとまず保留の句。

2014年4月26日 13:43

その空はすでに欅の領分に    小奈生

軽井沢高原文庫から立原道造生誕100年記念イベントのお知らせが来た。一瞬、景色が揺れる。行くことはないだろう。というか、ない。卒業論文は立原道造なのだった。道造さんは、堀辰夫さんと訣別しようとして無残に力尽きた。恥ずかしながら、私は卒論をもって道造さんに訣別しようなどとセンチメンタルなことを考えて、口頭試問で教授のお一人から手厳しいお言葉を頂戴した。いた、た、た。浅はかな学生のしょうもない考えなど、お話にもならなかった。軽井沢は卒業後二度訪れた。とても遠い町である。

2014年4月25日 17:04

正論がドアの付近に落ちていた    小奈生

このところテレビは韓国の海難事故の話題一辺倒だった。ほんとうに信じられないような痛ましい事故。昨夜からは、訪日したオバマ大統領の映像が流れる。おまかせコースが一人3万円のお寿司屋さんのネタばかり。一色のテレビってこわいなあと思う。

2014年4月24日 15:40

言いさしたことば散らしているさくら    小奈生

もう4月が終わってしまう。今年の桜は今年のうちに、ということでアップ。宙ぶらりんになっている4月の有象無象たちを記録しておこうと思うので、しばしおつきあいください。いつか役に立つなんてとっておいても箪笥の肥やしにもなりゃしないし、賞味期限切れのものを使い回ししても何もよいことがなさそうですから。心配なのは、句会や大会の選を経ていない作品がどんなものなのかということです。おお、こわ。

2014年4月23日 16:58

ドキドキしながら電池を捨てにゆく    湊圭史

(「川柳カード」5号より。)
電池、ほんとに迷うんです。不燃ゴミだと認識しているんだけど、回収箱とかもあるらしいし、それなら不燃ゴミに出すのはよくないことかもしれないし。若干後ろめたさも感じながら、目立たないように不燃ごみに入れているのが私の実情です。こんな微妙な感覚を突いてくる句です。だけど、「ドキドキしながら」「捨てにゆく」、「ゆく」?と大げさななことを真面目に言われると、おかしくもあり、何だか違うことを思い出しそうな不思議な気分にもなります。まさに気分の連鎖っていうのでしょうか。「ドキドキしながら電池を捨てにゆく」ような感じでするようなことって絶対にあったはずなんです。それが具体的に思い出せないのが、ちょっとモヤモヤします。そのモヤモヤ感も含めて、誰でも持っているなんらかの感じをまったく違うモチーフから取り出す、そういう共感性の取り出し方なのではないかと思います。

2014年4月21日 11:30

合点をして一枚の船になる    筒井祥文

(「川柳カード」5号より。)
「一枚の」という数え方によって船のイメージがつくられる。私は折り紙のだまし船(という言い方は一般的なのか?)を思った。目をつぶった相手に帆を持たせて「ほらね。」と舳先に変わるアレである。音数から「合点」はガテンではなくガッテンと読んだ。「うん、いいよ。」とうなずいて、だまし船のような他愛もないものになる。たいしたことなんて何もないような気になってきておもしろい。筒井祥文さんはこの号に「狂句二百年の負債」という文章も書いていらっしゃっる。私はとても興味深く読ませていただいた。今度、お会いする機会があったら、お話をうかがってみたい。

2014年4月16日 16:59

こんなよい月を一人で見て寝る    尾崎放哉

(「伝え合う言葉」中学国語3より。)
放哉といえば孤独。だから中学校のテストの鑑賞文では、「孤独感」という言葉を含む選択肢を選べばよいのだが、この句に関してはあんまりさびしい感じがしない。すみずみまでいきわたる月の光の清らかさが感じられて、さわやかさすら感じる。月の光の下での眠りはとてもおだやかなものに思われる。すべてを受容した落ち着きに近いものかもしれない。だから、わたしはわりと好きな句である。言葉の平易さもここちよい。「咳をしても一人」だとストレートにさびしすぎるけれど。

2014年4月10日 14:50

一本のバス待つ春のふくらはぎ    小奈生

先週、鹿児島で満開の桜に出会って感激していたら、もう名古屋の桜も終わりそうになっている。時間は確実に過ぎる。我が家では、ライラックがびっしりと花をつけ、アネモネもパンジーも真っ盛りだ。同じ春とはいえ、3月と4月は全然違う。そう思ってみると、「春のふくらはぎ」はいかにも3月の句であった。3月のねじまき句会の雑詠に提出した句である。句は生ものだから作り置きはできませんよと、ずっと以前に言われたことを思い出す。明日からは気温も20度台で安定してくる模様。季節はさらに次の段階へとめぐっていく。

2014年4月 6日 16:49