蛍光灯交換して、あ、しています    小奈生

(「川柳カード」5号より。)
自分の句について、まるで判断がつかないときがある。この句もそうだった。だから、「カード」の会員欄に投句した。会員は発行の度に8句投句することができる。「8句(ただし編集部の選を受けます)」という投句規定があって、誰かにもの問いたいときには助かる。私はときどき教室の蛍光灯を交換する。家庭用より太くて長い天井埋め込み式のものである。椅子ぐらいでは届かないので、机の上にのってさらに背伸びをする。その状態でぐいっと力を入れなければならない。その「ぐいっ」の瞬間に一瞬世界がひずんだような違和感を感じた。だから、これは全体が一人称の会話なのだ。一瞬の何かを言葉にしたかったのだが、そんなものが伝わるものなのかどうかの確信もなく、クエスチョンマークをそのままぶつけたかたちになった。会員の掲出句を取り上げた「果樹園散歩」のなかで、編集人の小池正博さんは対話として読んでくださっていた。そうか、そう受け取られるのか・・・。そこに違いが生じるのは自分の表現が曖昧なせいであると反省した。このことは読みは自由でそこに面白味があるという以前の問題だと思う。やはり選を受けることの意味は大きい。

2014年3月28日 22:37

逆光に向かってどうぞモッツァレラ    小奈生

卒業シーズンである。門出の季節でもある。巣立っていく人からプレゼントをもらった。かれこれ10年のおつきあいだった。「たまには二人で映画でも観てください。」意外な贈り物は胸キュンである。二人で映画なんて、いつのことだったかも思い出せない。意外な贈り物は、心のこもった贈り物だ。私のことをちゃんと見ていて、何がいいかと思案してくれた時間が感じられてとてもうれしい。そこのところにグッとくるのである。そんなふうにわたしのことを考えてくれた人がいるだけで最高に幸せな気分になれる。はてさて、二人で何を観るか。何だか笑えてしまうのだけれど、ちょっと考えてみよう。

2014年3月25日 14:08

濁点のかたわれ絶え間なくみぞれ    妹尾凛

(第107回ねじまき句会より。)
濁点は常に1対で取り扱われる。そのひとつひとつに向けられた目が新鮮だ。ガギグゲゴ、ザジズゼゾ、ダヂヅデド、バビブベボ。お世辞にも美しい音ではないし、胸がいっぱいのときに発音したらふいに何かがこみあげて泣いてしまうかもしれないような音だ。それが「みぞれ」の質感ととてもよく響きあっている。絶え間なく降るみぞれが、窓に跡を残していく。濁点のかたわれみたいな。水滴が窓を滑り落ち、また新たな濁点がつく。雪の日のようなぴーんと張りつめた空気ではなくて、ゆるやかで倦怠を感じさせる空間に澱む時間である。
さあ、寒波もそろそろおしまいだろうか。明日から気温が上がるようだが、そのまんますーっと春になってほしいところ。

2014年3月22日 14:38

寝返りをうって二月の川のまま    小奈生

(第107回ねじまき句会より。)
電車に乗っていると、いくつか街を流れる川をわたる。2月の川は、思っていたよりずっと明るくておだやかだった。寄り添って寝転びたいくらい!そんな2月も去って、3月になったというのに、またまた冬の寒さである。おまけに風邪をひいて熱まで出して、なんだかがっかりしてしまう。春よ春よと落ち着かない3月の日々は例年のことである。

2014年3月 6日 16:54

自転車にはじめて乗れた日のように    高橋かづき

(川柳カレンダー2014・3月より)
それぞれの記憶をあっというまに引っ張り出してくるような句だ。私がはじめて自転車に乗れた日の風景には父が一緒だ。早朝の中学校のグラウンド。目の端に入ったその土の色と青みがかったグレーの空の色。買ってもらったときの補助輪がついたまま1年くらいたった自転車と私を父が連れ出した。5年生になっても自転車に乗れないのは恥ずかしいだろうと人気のない時刻を選んで。仕事ばかりで一緒に泊まりがけの旅行にも行ったことがなかったのに、こんな記憶には父がいる。補助輪を外して、父が後ろから支えながら走る。あっ!支えていたはずの父の姿が向こうに見えた瞬間。それがはじめて自転車に乗れた日。その日のように、どうなのかを作者は語らない。読者ひとりひとりが、この物語の先をもっている。心地よい風が通り抜ける。とてもすがすがしい気分にさせてくれる句である。
カレンダーはもう3月。仕事柄、忙しい時期ではあるけれど、あまりにもあっけない2月だった。今年は風邪らしい風邪も引かず・・・などと考えていたら、途端にくしゃみ・鼻水・鼻づまりである。気を緩めるのがちょっと早すぎるんだなあ、いつも。

2014年3月 3日 18:52