湯豆腐の大和魂らしきもの    小奈生

2013年が暮れる。あと十数分で。うかうかとまた1年を過ごしてしまったかとも思う。なんだかとても追いつかない。なんとか仕事を終え(正確にはまだ年賀状の印刷中だし、この部屋の掃除がまだだけど)、年が越せそうな感じになったところ。お世話になったみなさま、ほんとうにお世話になりっぱなしですが、今年も一年、ありがとうございました。来年も誠実にがんばれるように努力しますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。よいお年を!

2013年12月31日 23:44

寝転べば畳一じょうふさぐのみ    麻生路郎

私が生まれる前の句である。この時代にも「川柳とは何か」を日々考えて、一生懸命作句していた人がいたことに感慨を覚える。麻生氏は、人生をいかに生きるかということを知るために川柳をするというが、私にはそんな大それたことは言えない。それでも、こういう川柳作家たちの営為の先に今自分がいるかもしれないと思うと、何やら他人とは思えない。遠い親戚のような感じ?畳一じょうをふさぐ身体に意識が及ぶとき、この世にある自分自身の存在そのものを考えるようなことは今に通じる感覚だろう。また、そういう感覚から川柳は生まれてくるのかもしれない。

2013年12月25日 15:40

首という首が回転する儀式    小奈生

日曜日に、縁あってバレエの発表会を観に行きました。バス停が結んだご縁です。おかげで生まれて初めてバレエをライブで観ました。一人の若い(二十代の女性です)踊り手の表情にとても惹きつけられました。表現のかたちがさまざまであることを改めて実感しました。その表情は、なんといったらよいのか・・・適度な心地よい飢えの感覚があるのです。皮膚が薄く透き通るような感じといってもいいかもしれません。つまり、飽食にまつわるようなどってり感がない。表情そのものがダイレクトに心に触れてくるようでした。なんだかとても気持ちよくすがすがしくて、うれしくなってしまいました。2月には、三島由紀夫の「豊穣の海」を原作とした「春の雪」というバレエ公演に出演なさるとか。また会いにいきたいなあ。

2013年12月24日 12:52

一本の川になろうと誘われる    酒井麗水

(「カード」4号より。)
「川になろう」と誘った人と誘われた人の関係が興味深い。そもそも「一本の川」は二人(あるいはそれ以上)でひとつなのだろうか。それとも、それぞれが一本の川になって流れていくのだろうか。わたしは、後者の読みをとりたい。それぞれが、ひとつの川となって流れていくにもかかわらず、それを誘うというところにひかれる。それにしても、これは日本の風景だなあと思う。黄河やアマゾンでは到底こうはならないだろう。ミシシッピでもナイルでもいけない。作者は旭川の方だという。北海道の川は、わたしの日常にある川とはずいぶん違っているのかもしれないけれど。

2013年12月22日 12:50

牛乳の膜薄くそこは圏内    青砥和子

(第105回ねじまき句会より。)
牛乳の膜が提示されるだけで、いろんなものが伝わってくる。温度、舌触り、匂い、あの白い色。なんといっても、膜である。いらないんだけど、あってちょっとうれしい変なヤツだ。カップの中の牛乳の表面に張った膜の内側は圏内である。圏内と圏外を隔てるにはあまりにも頼りない。しかし、その内側は侵されない圏内だという感じ方がとてもおもしろく説得力を持つ。何の圏内かは書かれていない。わたしは、わたしたちの日常世界を思った。牛乳の膜に対して多くの人が持っているであろう違和感、その曖昧なものへの作者の答えのようにも思われる。主張しないが伝える力を持っている作品、その感触がわたしは好きである。

2013年12月16日 13:19

カッターの刃先折る音するお辞儀    八上桐子

(第105回ねじまき句会より。)
誰かがお辞儀をする瞬間を見たのである。そのときに感じた違和感が「カッターの刃先折る音」と表現される。そういえば、最近カッターの刃先を折った覚えがない。カチッ?パキッ?ペシッ?イメージはあるのに確信の持てない音だ。だいたいが、カッターの刃先を折る音なんてものを取り上げること自体、意表を突いている。しかもお辞儀の形容にである。何重にも仕掛けられた違和感発生装置が、お辞儀に感じた歪みのようなものを読者の感覚に直に伝える。おもしろい!

2013年12月13日 22:42

テロップの地震は遠く林檎剝く    なかはられいこ

(「脱衣場のアリス」より。)
どこかで地震が起こるとテレビ画面の上端に速報が流れる。大震災のような甚大な被害を伴うものではなく、震度3や2の地域が表示される地震速報である。〈わたし〉の日常はこちら側にあり、〈わたし〉は林檎を剝いていて、剝き続ける。同じ時間を共有しながら、地震の起こっているむこう側とは何も共有していない。人の行為とは、そんなパズルの複雑な組み合わせなのだ。林檎を剝く自分にいささかの違和感を覚えることが、この言葉の始まりであるように思う。そして、その違和感を共有することが川柳を読むことなのではないかと思った。

2013年12月10日 16:11

なんでもないものになるまで打ち寄せる    小奈生

(「おかじょうき」12月号より。)
「おかじょうき」もちゃんと届く雑誌である。ときどき怠けたりはしない。封筒を開けながら一礼する。ほんとうにすごいなあ。今回は、誌上句会『0番線』の発表号だった。あ、徳長怜さんがいる。「月光の投網」、かっこいい!わたしにはとても思いつけそうにない。久保田紺さんの「ホームラン」は爽快!ひとり静さん、10月は名古屋へようこそ。吉松澄子さんとはカード大会でお話させていただいた。あ、ねじまきの安藤なみさんだ。わ、丸山進さんはむさしさんの特選句。おめでとうございます。田久保亜蘭さん、大阪でお会いしたのでもうお顔が浮かべられる。なんだか一人でにぎやかなことになってしまった。

月光の投網を打たれ動けない        徳長怜
めんどくさい窓に打ち込むホームラン    久保田紺
あきらめて雨に打たれている言葉      ひとり静
クエスチョン・マークを打ってさようなら  吉松澄子
打ち合わせどおりに此処でメーと鳴く    安藤なみ
打ちやすい球ならきっと打ちません     田久保亜蘭
打ち方が上手いピンクの音がする      丸山進

2013年12月 9日 00:40

すっかりとわたしのものになる鱗    小奈生

(「カード」第4号より。)
「川柳カード」第4号が届いた。ちゃんと届く雑誌を手にとって、改めてすごいなあと感心する。きっちりできあがって、定期的に出現する。しかも今回はやや分厚い。大変なことだと思う。頭が下がる。小池さんの『川柳非詩論争』を興味深く読ませていただいた。俳句じゃない川柳、川柳じゃない俳句・・・と、このところ呪文を唱えるみたいにずっと考えていたので、こういうものを読ませていただけるのはうれしかった。小池さんは先生だ。教えていただくことが多い。もう少し近くにいらっしゃったら、通いで習いに行きたい。あんぐり口をあけて簡単に教えてもらえるのを待っていないで、自己努力で勉強しないとだめだなあと反省。反省して、ほぼ1か月ぶりのブログです。

2013年12月 8日 23:19