朝なのかクマゼミなのかわからない    小奈生

1週間ほど前だっただろうか。いつもの朝と同じようにコーヒーを淹れているときに何となく違和感を感じた。ぼんやりした頭でぼんやりお湯を注ぎながら、突然気がついた。クマゼミだ!昨日まではなかったBGMがあたりを覆いつくしている。やあ、本格的に夏ですね。それにしても、昨夜いっせいに生まれたのだろうか。裏のお宅の庭で真夜中に営まれていたであろう一大イベントを思いやって不思議な気持ちになった。そして今、朝はクマゼミの大合唱をから始まる。ある時間になるとみんながいっせいに鳴きやむのもおもしろい。夫は彼らのことを関西弁のイントネーションで「シャンシャン」と呼ぶ。いかにもいかにもな呼び方である。

2013年7月26日 09:08

冬瓜が困惑の度を増している    小奈生

夏には瓜とつく野菜をいろいろ食べる。胡瓜は夏の必須アイテムだ。もぎたての丸かじりは最高。冷やし中華にも必要だし、とにかく便利に使える。南瓜は煮物以外に天ぷらもおいしいしサラダもいい。白瓜はお漬物に。ちょっと前に真桑瓜をいただいたので冷やして食べたら、子どもの頃を思い出してなつかしかった。冬瓜は量が多いのに食べ方がワンパターンになってしまうので、何かいい方法はないかと思っていたのだが、スープにしてみたら案外いけた。ベーコン、トマト、ニンジン、少々のタマネギと茹でた冬瓜でつくる。味付けは塩・胡椒のみ。からだにやさしくてほっとする味だ。瓜とつくものたちは、なかなかにツワモノぞろいである。

2013年7月23日 14:29

まだ降りつづく母さんの句読点    八上桐子

(第100回ねじまき句会より。)
母が亡くなってから25年になる。妻であり母であることを全うした一生だったと思う。その母の声がどうしても思い出せない。学校から帰ると台所のテーブルに座り込んで夕食の支度をしている母と毎日おしゃべりをした。お豆の筋をとったり、山椒の葉っぱをむしったり、その時々に言いつけられるお手伝いをしながら他愛もないことを話しながら過ごす時間が大好きだった。大学生の頃だったと思う。夜道を二人で歩いて帰ることがあった。歩きながら母がぽそりぽそりと私に打ち明けごとをした。母に悩みを打ち明けられる意外さに驚きながらも、この人は私が守らなくてはとえらそうなことを思った記憶が鮮明である。ところが今、母の声がどうしても思い出せない。無理に思い出そうとしても明らかに違うものだったり、水の中のようにくぐもっていたりする。八上桐子さんの句は、じゅうぶんに大人になってしまった娘と少し年老いた母との関係の機微が伝わっておもしろい。「降りつづく」の表現がこの句をかけがえのないものにしている。

2013年7月20日 14:56

ツユだくの牛丼かっこんで ひとり    菊池京

(「川柳カレンダー2013・7月」より。)
ええっー!あの美しい菊池京さんが吉野家に?しかもツユだくだなんてかなりの専門用語!作品を読むときに作者を持ち込むのはよくないけれど、軽い驚きのせいで、つい想像してしまった。さて、改めて作品単体と向き合ってみよう。作品中の「ひとり」は、それでもやはり女性である。ツユだくの牛丼をかっこんで、飲み込んだあたりで「ひとり」の意識が突如浮上する。1字空きは、そこまでの勢いと突然やってきた孤独感との間である。それはほんの一瞬のことであり、彼女にとってよくも悪くも単なる現実である。そのことに対する感想も感傷もない。尾崎放哉の「咳をしても一人」のような冷たく湿った寂寥感は感じられない。吉野家に一人で入ってツユだくを注文する女性なのだ。しなやかで強靭に、すったもんだを生き抜いてきたし、これからもそうするだろう。牛丼屋のカウンター席で一瞬かすめた孤独感を拾い上げたところに、笑って共感できる爽やかさがある。

2013年7月18日 15:05

姉さんが立ち上がるたび遠くなる    ひとり静

(「おかじょうき」7月号より。)
姉妹の微妙な関係性をうまく表現している句だ。兄弟、姉と弟、兄と妹のどれでも生じないニュアンスがそこにある。「立ち上がるたび」という設定がおもしろく効果的だ。立ち上がった姉を見上げる妹の視線が手に取るように伝わってくる。。立ち上がっただけなので二人の間の距離に変化はないはずなのに、遠くなると感じる妹の感覚にリアリティーがある。「遠くなる」という表現に一瞬ためらいを感じるが、そうとしか言いようがないのかもしれない。今朝、妹から着信があった。バスの中だったので出られずに、ついうっかりそのままになっていた。忘れないうちにかけ直しておこう。

2013年7月17日 16:35

夜空からきのうのぼくが落ちてくる    小奈生

「川柳文学コロキュウム」No.61が届きました。5月の10周年記念大会の入選句の掲載号です。大阪へ行ったのはほんの2か月前だったのですね。このときに初めて印象吟を体験しました。宿題句の投句を終えてぼんやりしていたところ、石橋芳山さんに会場の前と後ろに掲示されている絵を見て投句するのだと教えていただいて大慌てで投句。あやうく気づかかないところでした。大慌てすぎて自分の句を控えることも思いつかず、誌面でお久しぶりの再会を果たしました。そうそう、夜のイメージしか浮かばなくて夜の2句を投句したことを思い出しました。もう1句。

夜のうちに空と海とを切り離す

2013年7月16日 10:11

天井から降ってきたのは花かつお    樋口由紀子

(「MANO■NO.18」より。)
見えているのに結ばない映像、聞こえているのにとらえられない音、触れているのにすりぬける感触。不思議な句である。際限のない空から降ってくる桜の花びらではなく、限られた一室の天井から降ってくる花かつおである。薄くて軽くておいしそうな匂いのするあの花かつおだ。悲しみや痛みすら明るいものに変えてしまうようなふところの深さが感じられて安心してしまう。「降ってくるのは花かつお」、いやいや降ってこないでしょう。でも、想像してしまうのですよね。けっして生臭くない花かつお。

2013年7月14日 15:50