針の穴とおった冬を縫いつける    小奈生

冬はきらいだと公言している。断然、夏派である。でも、きらいだから(冬さん、ごめんなさい。)気になってしまうことがいっぱいある。匂い、手触り、色合い、どれもこれも。そして、口とは裏腹に、「実はそんなにきらいじゃないのかも。」と思い始めている。変だけど、ちょっとおもしろい。

2013年1月31日 23:40

立秋のサランラップに封ずるもの    大口元通

(第五句集「豊葦原」より。)
「サランラップ」の選択が絶妙である。ワンラップやクレラップよりは高品質だが、ジプロックやタッパウェアほど密閉の意志が感じられないところがよい。そして立秋。まだまだ暑くて、どこが秋?と思うほどだが、ふとしたはずみに秋が兆していることに気づく。サランラップも真夏ではいかにもだらしなさそうだが、立秋であれば程よくゆるく程よくぴんとしている。「封ずるもの」といういかにも大事そうなかたい言い回しと「サランラップ」の落差もおもしろい。「立秋のサランラップ」によって封じられたものはいったい何だったのか。たいしたことはないけれども封じる必要のあるもの。小さな秘密、ささやかな決意、少々の嘆き。わたしたちがそっと心にしまうさまざまなことの一つである。気張らない真面目な日常がそこにある。
元通先生は俳歴六十七年の俳人である。わたしは連句・桃雅会で連衆として出会った。お医者さまでもあり、みなさんが元通先生と呼んでいらっしゃるので、わたしもそう呼ばせていただいている。ときどき時間があると、金子兜太さんや岡井隆さんをはじめとしていろいろな方のお話を聞かせてくださる。青年の日の荻原裕幸さんの話もうかがったことがある。俳句のハの字もわからないわたしなどが元通先生の俳句について何か言うのは恐れ多いも甚だしいが、先生ならわたしの的外れな発言も、「しょうがないなあ。」とにっこり笑って許してくださるだろうと甘えさせていただくことにした。

2013年1月25日 17:37

開脚の踵にあたるお母さま    なかはられいこ

という句は中学生の教科書には載っていない。なぜいきなりこんな話になるかというと、突然思ったからだ。どうして教科書には現代の川柳がないんだろうかと。中学生の教科書には、万葉・古今・新古今があり、近代の短歌、現代短歌がとりあげられている。芭蕉翁があり、近代の俳句があり、現代の俳句がある。しかし、川柳は江戸時代に流行した「川柳という文芸作品」として数句が登場するのみだ。「その後はこはごは翁竹を割り」でおしまい。そんなぁ。サラリーマン川柳や女子会川柳やゴルファー川柳などなどだけが世間様の認知する川柳となっているのも無理からぬことだと再認識した。今さら何をと思われるかもしれない。このところ、ひどく忙しかったのである。息切れしてぐにゃぐにゃになった頭には信じられないくらい素朴な疑問が唐突に浮かぶのだ。少なくともわたしはそういう傾向にある。

2013年1月24日 13:10

わたくしの通ったあとのすごい闇    定金冬二

(「定金冬二句集」倉本朝世編 より)
「すごい」という言葉の意味が完全なかたちでここにある。それは、「すごい」としか言えないものだ。想像はできるが実感のない世界のことだ。肩のあたりにぞくっとしたものが走る。義父が倒れたとき、その家を整理しに行ったときに、これと似た感触を味わった。義父は毎日ゴーゴーと吹く風の音を聞いてそれを抱えながら一人で暮らしていたのではないかと思ったのだ。それにしても今年はがっつりストレートな句との出会いが続く。
昨日は大学の恩師宮坂覺先生の最終講義を聴きに横浜に行ってきた。先生もまた真っ直ぐな方である。芥川龍之介研究一筋に進んでこられた。講義は最終だけれど、先生の眼はまだまだ研究と活動の先を真っ直ぐ見つめていらっしゃる。純粋なエネルギーは老いを寄せ付けないものなのだと、若輩者は恥ずかしくなる思いだった。雪の残る横浜の坂道をしんとした気持ちで歩いた。

2013年1月20日 21:41

大空を眺めて許すこと許す    久岡ひでお

(あざみエージェントオリジナル川柳カレンダー2013年1月より。)
まっすぐさに圧倒される。冬のぴんとはりつめた空によく似合う句だ。こんなまっすぐな物言いを、わたしはしたことがあっただろうか。ちょっとしおれる。こせこせしないよう肝に銘じておこう。生き方も川柳も。

2013年1月17日 13:48

ササキサンを軽くあやしてから眠る   榊陽子

おかじょうき川柳社の第17回杉野十佐一賞大賞作品である。
なんなんだろう、このササキサンのリアリティーは。漢字表記であってはならない、カタカナの「ササキサン」ゆえのリアリティー。作者のコメントに「なんでササキサン?」と自分でも思ったとあったが、それほどのっぴきならないもの、「ササキサン」以外ではありえないものだったのだろう。その感触はきちんと伝わっている。川柳のあるかなきかの大威力というのはこういうところにあるのではないかと教えてもらった。いろんな人たちがそれぞれの「ササキサン」を「軽くあやしてから」眠りにつく夜の光景が見えるようだ。もちろん、わたしもその一人である。

2013年1月16日 16:37

新年や。

新しい年が始まってすでに10日以上がたちます。1年の最初には、1年の最初らしいことを言わなければと思ったのがそもそもの間違いでした。そんなに特別なことなど何もないのです。そろそろ新年のほとぼりもさめた頃かと、おそるおそる顔を出しました。少しずつ日も長くなって、寒そうに風に震える草花たちも何となく様子が変わってきたようです。春の気配を含む冬。は・る。もうちょっとしたら、本気で待ち始めてもいいかなあと思います。

2013年1月13日 13:06