鉄棒に片足かけるとき無敵    なかはられいこ

なんだか滅茶苦茶忙しくて、よく走っているのです。探していた本が見つからなくてセントラルパークの丸善から丸栄7階の丸善までダッシュ。息をきらせながらこの句にバッタリと遭遇しました。児童書コーナーで!しかも〈スポーツ俳句〉という本の中で!毎日やらなければならないことを翌日に持ち越して押しつぶされそうになっていた私でしたが、この瞬間、思わず「くくく」と笑ってしまいました。瞬間パワーで元気回復です。む・てき~!お会いできてよかったです。改めて申し上げます。これは、なかはられいこさんの川柳です。

2012年11月30日 09:50

喝采のもれる程度に閉めておく    八上桐子

(第76回ねじまき句会より。)
「閉めておく」の主体は誰なのだろう。その1、喝采の起こる部屋にいる喝采を受けている人。その2、喝采の起こる部屋にいる喝采をしている人。その3、喝采の起こる部屋の外にいる人。「開けておく」ではなく「閉めておく」が機能するためには、その1は除外したい。だって、ちょっといやらしいから。その2は、うるさいと申し訳ないから気遣いで閉めておくのである。でもほんの少し自分たちの喜びや高揚を知らせたい気持ちもあって「もれる程度」にしたことになる。よくわかる気がするけれど、まだかなあ。わたしは、その3を支持する。ホテルか何かのパーティーあるいは宴会の行われている部屋。うるさいなあと開いている戸を閉めに行った。でもぴっちり閉めてしまうのを思いとどまる。少し隙間を残して戸を閉めた。自室にもどると、もれてくる喝采。自分以外の大勢の人たちがいて何だか大騒ぎをしていることを感じながら横になっている。何の関係もない人と自分とのつながりともいえないようなつながり。ぴっちり閉めてしまうと断たれるものを断ち切らないことにほっとする。深読みはどうかとも思うが、川柳はいろいろなことを考えさせてくれる。

2012年11月19日 11:38

目立たぬが無くては困る薬指    三好光明

(朝日新聞「東海柳壇」11月15日より。)
薬指が照れまくっている絵が浮かんで思わず吹き出してしまった。確かに薬指は存在意義があやふやで、しかも、ないと困るものである。何年か前に薬指にひどい火傷をした。電子レンジから取り出した器のラップに隙間があって、またたくまに指一本が水ぶくれになった。火傷したのは左手の薬指だけだったにもかかわらず、何をするにも意外に不自由で困った覚えがある。それにしてもである。こう正面きって「無くては困る」と言われると、薬指としてもさぞ面映ゆいことだろう。一方、こういうことを至極真面目な顔で言ってくれる人がいることは、薬指ならずとも有難く嬉しいことである。不器用だが誠実なやさしさが伝わる句である。

2012年11月15日 16:24

小春日を起毛してゆく声がある    小奈生

窓の外がやたらきらきらしている。また、この季節になってしまったなあと思う。空の色は薄いのに、なんでこんなにきらきら?強くないけれど多すぎるくらいの光があふれている。秋から冬は苦手な季節だ。だって、夏にはみんなこんなに風邪ひかないし、インフルエンザだって流行るわけじゃないし、Tシャツ1枚でOKだから洗濯も簡単だし、第一フットワークが軽い。古典的な二者択一として「夏と冬どっちが好き?」と聞いてみると、若者は圧倒的に冬派が多い。「寒いときは着ればすむけど、暑くても脱げないじゃん。」「汗かいてべたべたすると気持ち悪いもん。」うーーん。でもやっぱりわたしは夏がいい。冬の入り口で、すでに春を待ちわびる心持ちになっている。

2012年11月10日 13:41

「ベルリン」について。

『フェニックス』の三好さんから、「ベルリン」の効用についてご質問をいただきました。『短歌ヴァーサス』第3号でなかはられいこさんがこの句を取り上げていらっしゃいますので、それを読んでいただくと、わたしがゴチャゴチャ言うまでもないのですが、わたしなりの感じ方を書かせていただきます。「ベルリン」は発音するときの感覚がポイントだと思います。試しに「ベルリン」と言ってみてください。ただし、強く!です。〈リン〉の〈リ〉のときに、舌が口腔内の上顎の部分(上の前歯のちょっと後ろです)にくっついてぐっと押し出すように〈リン〉が発音されます。これを数回繰り返すと、頬骨から目のあたりにかけて泣きそうだけど泣かない感覚がつまってきます。だから、かなしいときには「ベルリン」と言うのです。そうすれば泣かなくてすむ。「かなしくて」と切り出されたときには、どうなるかとはらはらして、「ベルリンと言う強く言う」という着地にふっと笑いが浮かんでしまうのです。倉本朝世さんという川柳作家のパワーに平伏しました。
ベルリンは南国の町では困るけれども、硬質なイメージを伴うドイツの首都であれば十分です。その他の都市でも試してみましたが、やはり「ベルリン」に勝るものはありませんでした。例えば、北京では頼りないし、パリではあっけなく、東京じゃよけい悲しくなりそうで。
では、もう一度。

かなしくてベルリンと言う強く言う    倉本朝世

2012年11月 8日 13:07

かなしくてベルリンと言う強く言う    倉本朝世

旧い友人が口角を上げる練習をしていると言う。きょうも一日元気な顔で過ごすために。号泣の準備はいつだってできているのに、いつもし損なってしまうタイプの人である。世間様の目にどう映ろうと、だれだってひとつやふたつ、ときにはみっつよつぐらいは辛い思いと闘いながら生きている。愚痴のひとつもこぼすつもりが逆に相手に相談事をもちかけられて帰ってきてしまうような彼女が口角上げに取り組んでいるとなれば、相当弱っているにちがいない。口角上げには副作用があって、やりすぎると歪みが生じてホウレイ線が目立ってしまうらしい。そんな彼女に副作用のない「ベルリン」をお勧めしたいと思うのだが。元気になるおまじないはたくさんあったほうがよい。

2012年11月 7日 13:50

真ん中も裏側もない夜空です    小奈生

めっきり寒くなった。特に明け方はかなり寒い。過ごしやすい爽やかな秋はいつだったのだろう。半袖のTシャツから一気にセーターが必要になりそうな勢いだ。昼間の空の色も薄くなった。でも空を見ていると、自分がどんな空も好きなのだということに改めて気づく。どんな天気でも、どんな時間でも。空の見せる表情は、100パーセント信頼できる。わたしはわたしそのもので空を見上げる。空はちゃんとそこにある。きょうは少し夜更かしをした。窓の外には真っ暗ではない見慣れた夜の空があった。もう何年も前に和歌山の山の中で見た真っ黒な空のことをふと思い出す。あれはほんとに黒かった。でも怖い感じではなくて、むしろなつかしいような優しさがあってほっとした。ああいう空の下には太古につながる時間が流れているのだと思う。

2012年11月 6日 05:31

コンビニのおでんぼやきたてがうまい    丸山進

(第86回ねじまき句会より。)
コンビニのおでんがイイ感じの季節になってきた。私はなかなか買うチャンスがないけれど、レジに並ぶたびについつい何があるのか確認してしまう。買うわけでもないのに、何がいいかなあなんて。きっとヤツらはぼやいているのだ。〈オバちゃん、また見るだけかいな。かなわんなあ。〉〈ちょっとー、うちの右肩おつゆからはみ出してひからびそうなんやけど何とかしてえな。〉〈わしの人生、こうやって終わっていくんかなあ。〉〈なあ、大根ゆうたらおでんのお姫様やで。なんでわたしだけ売れ残るんやろ。〉おでんを見ていると、絶対ぼやいている気がしてきた。ぼやきたてのおでんをカップにすくいあげる。おたまで出汁もちょっと注ぐ。おいしそう。ぼやきたてのおでんは、力の抜けた絶品のB級グルメににちがいない。私は大根と卵派である。

2012年11月 4日 00:43

淋しくもないのに指の骨が鳴る    荻原裕幸

(第67回ねじまき句会より。)
今度は漢字です。「淋しくもない」のです。確かに「さびしくもない」より潔い。よりによって「寂しい」ではなく「淋しい」です。負の負は正ってことなのですね。「淋しくもないのに」と言うということは、淋しいときには指の骨が鳴るのです。だから、たとえ「淋しくもない」と口では言っているとしても、つまるところ淋しいのです。あーあ。でも、何だか苦笑しながら許してしまえるような、どこかほっとするような不思議な魅力があります。それに、指の骨の軽さがいい。ときどき癖なのかポキポキ鳴らす人がいますよね。ポキポキって手持ち無沙汰なときやなんかに。もちろん、ここでは鳴らすのではなくて鳴るのですが、淋しさと指の骨の音はまんざら無関係でもなさそうです。人が淋しいのはあたりまえのことで、誰だってわかりすぎるほどわかっている。だから誰かがこんなことを言ってくれると、あまりの弱っちさ全開加減にほっと安心するような気持ちになれるんじゃないかなあと思います。

2012年11月 2日 00:18