名鉄のさみしい赤をおもいだす   荻原裕幸

(第9回ねじまき句会より。)
濡れると気持ちよい雨のような句だ。作者がこの「赤」を思い出したのは、東京か大阪のホームの人ごみの中にいて、銀色のかっこいい電車が入って来るのを見たときだろうか。あるいは、電車とは関係なく、やるせない気持ちを抱えた一瞬にその色がよぎったのだろうか。それにしても、「さみしい」とか「おもいだす」とか、私には絶対使えないと思う。無理だ。私がそんなものに手を出そうものなら、おぞましくべとべとしたいやらしい句になってしまう。叙情を正しく扱える人が選んだ言葉が適性に配列されなければ、こうはならないのだろう。名鉄電車の赤い色は、名古屋近辺の人にしかわからないかもしれないが、「さみしい」につながるものは「赤」でなければならなかった気がする。「さみしい」と「おもいだす」の平仮名表記もそれ以外にはないと思う。もちろん、「さびしい」ではなく「さみしい」である。名鉄電車を見るたびにこの句が現れる。そりゃあ、わたしはこの赤の微妙な色合いを知ってるからね、名鉄電車の微妙な立場も実感としてあるからね、え?じゃあ、これってやっぱりご当地ソング?・・・などとあれこれ思いながら、そのあれこれを越えて理屈抜きにこの句が好きなのである。

2012年10月29日 01:46

聞きわけのよい秋桜になれなくて    魚澄秋来

(第32回ねじまき句会より。)
コスモスは群生する。コスモスの向こうにコスモスが咲き乱れて風に揺れている。あの茎や葉のややこしくからまりあう感じは、確かに聞きわけがよくはなさそうだ。花のやさしい色合いや風に揺れる頼りない風情、つまり遠目に見たときの外見と、近づいて茎から下を覗き込んだときの事情に大きな隔たりがある。コスモスも大変なんだなあと思うと、さらにいとおしくなる花だ。「聞きわけのよい秋桜になれなくて」は、コスモスの独白のようであり、作者の独白のようでもある。この「なれなくて」は否定的ではなく、むしろ受容なのではないか。聞きわけのいい女でなくてごめんなさい、でもどうしようもないんです・・・と。聞きわけなどよくなくていい。聞きわけがいいほうが嘘っぽい。爽やかな秋の風の匂いがする。

2012年10月22日 09:10

鈴の音のちりぢりの音のまくらがり    二村鉄子

(ねじまき句会2012年9月より。)
わらべ歌か民話の世界に入り込んだようである。17音の音の流れが美しい作品だ。「の」という助詞の使い方がうまい。「の」でつなぐことは危険を孕む(と私は自戒している)のだが、ここにあるのは計算された「の」である。「の」でつなぐことによって、全体に流れるよう滑らかなリズムを与えながら、その意味の機能を十分に生かしている。連体修飾格の「の」と主格の「の」の意味を重ねて、作品に17音以上のふくらみのある世界を構築している。
田舎の家の広い座敷。子どもたちが暗がりの中に散り散りに消えていく。その子どもたちは鈴をつけている。真っ暗がりのあちらこちらからその鈴の音が響いてくる。かすかだが確かな音だ。その音を追いかけはしない。追いかけてもつかまえられないことはわかっている。「まっくらがり」ではなく「まくらがり」である点も音数を破らないという以上に効果的である。暗がりのこちら側にいる「わたし」という存在や、世界との関わり方も感じさせる。

2012年10月17日 09:35

祈りの言葉。

神よ願わくばわたしに
変えることのできない物事を
受け入れる落ち着きと
変えることのできる物事を
変える勇気と
その違いを常に見分ける智恵とを
さずけたまえ

(カート・ヴォネガット・ジュニア「スローターハウス5」より。)

何年も前にわたしが誰かに教えてもらった呪文を別の誰かに伝えたら、最近になってそれがまたわたしのところにもどってきた。はっとするくらい新鮮だった。忘れていた大切なことを思い出したときのように。
川柳もまた呪文のようなものだと言う人がいた。そんな川柳が書けたらなあと思う。

2012年10月16日 11:46

何本に紐を切っても寒い夜    守田啓子

(「おかじょうき」9月号より。)
深夜、暗闇のなかでシャキンシャキンと紐を切り続ける女の姿。こわい!大昔、貸本屋さんで借りて読んだコミックの「蛇女」などを連想してしまう。蛇女は紐は切らないけど(生卵を飲んでたんだったかなあ)。と同時に、ちょっと笑える。もっていきようのない孤独感、晴らしようのないやるせなさ、そんなものを抱えて、泣く女ではないところがいい。ましてや誰かにすがったりはしない。ただ紐を切る。「寒い・・・」というつぶやきがぽろり。また紐を切る。闇と自分自身との境界線がわからなくなるまで。朝になったら何でもない顔をして仕事に出かけ、ガハハと笑ってたりするんじゃないかと思う。

2012年10月12日 13:11

雨音がマナーモードになりました    青砥和子

(朝日新聞「東海柳壇」2012年10月4日より。)
最近はやたら大きな音を立てて降る雨が多い。間断なく音を立て続け、不安やら苛立ちやらをかきたてる。静かにしてよー!とお願いしたくなる。その雨音があるときから辺りをゆっくり埋めていくような柔らかな音に変わると、心底ほっとする。あれは、マナーモードだったのですね。ありがたいお心遣いです。「雨音がマナーモードになりました」と告げる声が聞こえるようで、つい「ありがとうございます」と返事をしてしまいそうだ。マナーモードは完全な無音ではない。だから、ケータイの場合には余計に気になってどうかと思うこともあるのだけれど、雨音は静かに世界を濡らしていく感じがとてもいいなあと思う。

2012年10月 6日 12:54

バス停にとまらなそうな無人バス    福井たける

(朝日新聞「東海柳壇」10月4日より。)
うちの前の通りもバスが通る。1時間に1,2本の細々とした路線である。午後の時間帯や最終バス(午後10時すぎ)などは、ん?いま人乗ってたかなあ。と見送ることがある。がらんとした車内を見せながら悠々と通り過ぎるバスに、不思議な感覚をくすぐられる。異界行き?異次元行き?バス停はすぐそこである。さて、バスは停車するのかどうか。
作者は小学6年生。聞いてみたい。そのバスの運転手さんを見ましたか?

2012年10月 4日 13:16

ういろうの感じで列に立っている   草地豊子

(セレクション柳人番外「草地豊子集」より。)
名古屋名物ういろう。私が子どもの頃に慣れ親しんだういろうとはずいぶん見かけが違う。彦根にも銀座があって、そこの風月堂(だったと思う)で、母がときどき買ってくれた。くろとしろがあって、わたしは断然くろ!素朴なお菓子だけれど、大好きだった。名古屋のういろうは色とりどりで、なんだか馴染まなかった。シロクロマッチャアズキコーヒーユズサクラですから。
何にしろ、ういろうは説明するのが難しい味だ。どうということはない。悪く言えば、ぼんやりしている。よく言えば、やさしい味わいだ。列に立っているときの気分としてはぴったり。何も考えてはいけない。いらいらしてはだめ。ただひたすら芒洋とした思いにひたされて。私は、列に並んで何かをするのが苦手だ。並ぶくらいなら食べなくていい。いっぱい並ぶならあきらめる。だからかどうか、いまだディズニーにもUSJにも行ったことがない。

2012年10月 3日 16:56