回線はつながりました 夜空です   なかはられいこ

(「脱衣場のアリス」より。)
数日前にロンドンに旅立った大学生からメール着信。「着きました!」おうっ!ロンドンだあ。フラットメイトの助けを借りて早々にネットがつながったらしい。すごい世の中になったもんだと超昭和級の感慨。つながることはあたたかい。つながることはおそろしい。とりあえず、一瞬で135度の経度を越えて言葉を交わせることはうれしい。
黙りこくった真夜中の空を見上げていると、隙間なく張り巡らされた網の目が見えるような気がすることがある。どこかとどこかで、絶え間なく言葉が飛び交っている。タイトルに挙げたなかはらさんの句はもっとシンプルなものだと思う。電話の呼び出し音のあとガチャ、電話がつながったのは夜空。そんなこともありそうだ。さて、何を話すか。いや、なんにも話さなくていい。回線はつながって、向こう側には夜空がある。やさしい沈黙を耳の奥にためていたい。

2012年9月27日 11:16

からの手をひらく銅貨のにおい嗅ぐ    ながたまみ

句を読みながら、もう十円玉の匂いが鼻腔にひろがっている。さっきまで手の中にあったことをこんなに主張する硬貨はない。誰にもある経験をたちのぼらせて共感を呼ぶ。一人一人の経験はまちまちだが、あの匂いの記憶は共有できる。昔は携帯電話などなくて、遠くにいる恋人の声を聞くために十円硬貨をいっぱい握りしめて公衆電話に走ったのです。猛烈な速度で落下する硬貨の音、終わりもなくはずみもしない会話、ついに「じゃあ。」と中途半端に電話が切れて、夜の闇と銅貨の匂いともやもやした心が残る。ケータイメールでポン!とはいかなかった時代の話です。

2012年9月25日 13:47

これはもう体言止めでチチカカ湖    なかはられいこ

ねじまき句会(8月)より。
「チチカカ湖」の威力炸裂である。体言止めという修辞は、これくらいのパワーを持って使用すべしと言われているようで、かなり怖気づく。「これはもう」などという無責任な言い方も、ここでは字数合わせではなく有効に作用している。だって、「チチカカ湖」ですもん。だって、どうしようもありませんから。うまい!座布団100枚級である。この句に出会って以来、体言止めの句ができてしまうと、なんだか躊躇する。体言止めの呪縛である。

2012年9月19日 11:44

うまく言えずなんかこうグラジオラス    池田澄子

川柳カード・創刊記念大会へ。
樋口さんをはじめ、新しいことを始めようとする人たちの熱い思いがぐわんぐわんと伝わる。
第1部は池田澄子さんと樋口由紀子さんの対談。初めて池田澄子さんのお話を聞かせていただいた。凛とした素敵な声だ。うんうんと納得したり、そうそうと共感したり、そうか!と気づかされることがあったり、とても楽しい時間だった。「思っていることを、思ってるから言ったからって、相手に伝わるはずがない。」きちんと身を削って表現し続けていらっしゃった方の言葉は重い。大切にしよう。懇親会で直接お話させていただいたときは、緊張してうまく伝えられなかったけれど、本当にうれしかった。まだちゃんとかたちにならない何かをいただいた気がする。

2012年9月16日 02:48

泣くもんか第三埠頭倉庫前     なかはられいこ

「あざみエージェントオリジナル川柳カレンダー・9月」より。
悲しいときに気持ちよく泣けない体質の人なんだろうなと思う。「泣くもんか」とも恥ずかしくて発声できないタイプ(と勝手に断定)。安物の映画のワンシーンのようなしつらえに作者の羞恥がにじむと感じるのは、屈折した自分の性格の反映だろうか。まるでギャグのように投げ出された十七音。だからこそ、痛くて悲しい。リズムもいい。「もん」「さん」のところで、ガッタンゴットンして、「ふとー」「そーこ」の滑らかさにやすらぐ。まるでしゃくりあげているときの呼吸みたい。この句を口ずさんだら、ハイ、もう泣かなくてよくなりました!

2012年9月11日 16:25

わびさびの手本のように錆びている   丸山進

ねじまき句会(2012年8月)より。
「わびさび」と言えば、茶の湯の世界だ。閑寂の境地、ひとつの理想的な姿であろう。その手本のように「錆びている」のである。錆は金属表面の酸化物であって、決してよいものではない。でも、この句を読むと、いやいや錆びることもまんざら捨てたものではないかもしれないと力が抜ける。静かに自然に錆びるという自然のありかたを受け入れて悠然とかまえる潔さのせいだろうか。肯定的なあきらめの感覚といってもよいかもしれない。「わびさび」の「さび」は「錆び」と同音のしゃれ。しかし、「手本のように」という七音がそれを駄洒落で終わらせない力となっている。

2012年9月 6日 13:40